先週、アメリカ下院を通過した法案の中に「セクション899(Section 899)」と呼ばれる条項が含まれています。
この条項の正式名称は「不公正な外国税に対する制裁執行(Enforcement of Remedies Against Unfair Foreign Taxes)」であり、外国人投資家がアメリカで得る利子や配当収入に対して課税できる内容が含まれています。
初期段階では既存の税率に5%ポイントを上乗せし、毎年さらに5%ポイントずつ増加させて、最大で20%ポイントまで連邦所得税を課す仕組みになっています。
この条項の対象は、不公正国家の政府系ファンド、年金基金、政府機関だけでなく、一般の個人投資家やアメリカ国内に資産を保有する企業にも及びます。
「不公正国家」の指定は、法案成立後に米財務省が行うことになっており、EU、日本、カナダ、オーストラリア、インド、韓国などが候補として挙げられています。
まだ上院での審議が残っていますが、共和党内での支持が強いため、最終的な法案として成立する可能性が高いと見られています。
現在のトランプは、複数の目標を同時に達成しなければならない立場にあります。
財政赤字を縮小しつつ、ドルを弱めることでアメリカ企業の国際競争力を高める必要があります。
トービン税とは何か?国際資本移動へのブレーキ
投資をしている人なら、「卵を一つのカゴに盛るな(Don't put all your eggs in one basket)」という言葉を聞いたことがあると思います。
これは、一つの銘柄に集中投資するのではなく、ポートフォリオを組んで分散投資をすべきだという意味で広く知られています。
この格言を残したのは、ノーベル経済学賞を受賞したイェール大学教授、ジェームズ・トービン(James Tobin, 1918~2002)です。
トービンが1970年代から提唱していたのが、「通貨取引税(Currency Transaction Tax, CTT)」です。
これは、為替投機など短期的で投機的な国際資本の移動を抑制するために、国際的な資金取引に税金を課す必要があるという理論です。
トービンが最初に提唱したことから、この税は彼の名前を取って「トービン税(Tobin Tax)」と呼ばれています。
歴史が証明する「資本移動と金融危機の関係」
資本の移動については、学者の間で意見が真っ二つに分かれています。
- 自由化推進派は、資本市場を開放すれば発展途上国に資本が流入し、これが投資と経済成長を後押しすると主張します。
- 一方で、規制派の学者は「海外資本とは、雨が降り出すとすぐに返さなければならない傘のようなもの」と表現します。
つまり、経済が順調なときは資金を貸してくれるが、危機の兆しが見えると真っ先に資金を引き上げ、危機をさらに拡大させると主張します。
ハーバード大学の教授のケネス・ロゴフ(Kenneth Rogoff)と、ドイツのノーベル経済学賞受賞者のラインハルト・ゼルテン(Reinhard Selten)は、資本市場の自由化と金融危機の関係について共同研究を行いました。
彼らは、1800年以降に発生したすべての金融危機の時期が、資本移動の活発化と正確に一致していることを証明しました。
このことから、金融危機を防ぐためには資本移動をある程度制御せざるを得ないという結論が導かれました。
発展途上国の立場からすれば、経済成長のためには海外資本の流入が必要です。
資本の移動を過度に規制すれば、資本不足の国々は成長の限界に直面し、さまざまな副作用が生じます。
この2つの立場をバランスよく考慮した理論が、トービンの「適度なコントロール」理論です。
つまり、海外資本に適切な水準で課税することで、国際資本の過剰な移動を抑制できるという考え方です。
ブラジルの事例:トービン税の導入とその影響
2000年代以降、新興国への資本流入が急増した時期がありました。
特にブラジルは、高い経済成長率と高金利政策により、外国資本が殺到していました。
2008年の世界金融危機の後、アメリカや欧州が量的緩和(QE)によって金利を引き下げたため、大規模な資金が高金利だったブラジルに流れ込みました。
海外資本が急激に流入した結果、ブラジルではドルの価値が下がり、ブラジル・レアルの価値が上がりました。
その結果、ブラジルにとって輸出に支障が出るほどブラジル・レアルの価値が強くなりました。
ブラジルは対策として、2009年に「トービン税」を導入しました。
当初は2%の税率でしたが、段階的に引き上げられ、最終的には6%まで課税されました。
短期的には、レアル安に転じたことで輸出が改善し、税収も増加するなど、一定の成果を上げました。
しかし、副作用も明らかになりました。
投機資本だけでなく、中長期の投資資金の流入も減少し、成長の潜在力が縮小されたのです。
ブラジルへの外国資本流入は、2010年の630億ドルから、2011年には353億ドル、2012年には88億ドルへと減少します。
これにより、ブラジルはまず株式に課していたトービン税を撤廃し、2013年には完全に廃止しました。
アメリカのトービン税適用の影響と市場の懸念
このように、アメリカでトービン税が導入されれば、ブラジルのようにドル安が進む可能性が高いです。
しかしトランプは、トービン税のデメリットである投資資金の流入減少がアメリカには当てはまらないと考えているようです。
たとえ資金流入が一部減ったとしても、グローバル資本はトービン税を恐れてアメリカへの投資をやめることはない、というのがトランプの見解のようです。
市場では米国債への課税が現実化することに懸念が広がっています。
利回り4%の米国債を保有していても、トービン税でその4%が取り上げられれば、実質的に利息がゼロになる可能性があるからです。
外国への課税が「新たな常識」に?
この法案は今後、取り下げられたり内容が緩和されたりする可能性もありますが、
「アメリカに流入されるお金からは税金を取るべきだ」という考え方が、一定の方向性として定着しつつあることに不安を感じます。
アメリカの財政赤字が深刻化する中、こうした過激なアイデアが同時多発的に進行している状況です。