日本の造船業の限界と競争力


米国は2025年4月17日、中国船舶から入港手数料を導入する方針を発表しました。
この規制で恩恵を受けるのは日本と韓国です。
造船業の歴史を振り返りながら、今後日本と韓国が商船市場でどのように競争していくのかを整理してみたいと思います。


英国から日本へ:造船技術の進化

かつて、世界の造船業のトップは英国でした。
英国の造船業は世界最高の技術と生産力を誇っていましたが、いくつかの問題がありました。
紙の図面を使って設計を行い、ドックで最初から最後までリベットで打ち付けて船を作る方式を採用していました。

1950年代、日本は造船業で技術革新を遂げました。
リベットの代わりに溶接を用いて鉄板を接合したのです。
一つ一つリベットで固定するのではなく、溶接で一気に接合することで、接合部の強度が高まり、建造スピードも向上しました。

また、ブロック工法も導入されました。
ブロック工法とは、ドックで最初から船を作るのではなく、別の場所で小さなブロックに分けて作り、それをドックで溶接して組み立てる建造方式です。
この溶接とブロック工法の組み合わせにより、英国の造船会社が追いつけない競争力が日本に生まれました。


英国も溶接とブロック工法を取り入れようとしました。
しかし、雇用を失うことを懸念する労働組合の抵抗により迅速な導入ができず、一般商船建造の主導権は日本に移りました。
その結果、英国など欧州は一般商船の建造を諦め、クルーズ船、掘削船、深海探査船といった高付加価値船に特化するようになります。

溶接とブロック工法を全面導入した日本は、世界の商船(バルク、タンカー、コンテナなど)の約60%を建造する造船大国となったのです。


設計力を武器に成長した日本造船業

1960年代から、日本にもコンピュータを活用した設計(CAD)と製造(CAM)が導入されました。
コンピュータの活用により精密な設計が可能となり、船主のカスタム要求にも柔軟に対応できるようになりました。

日本の造船会社はモジュール式設計方式を導入し、船体の部品を標準化して大量生産し、品質を高めることができました。
日本政府も日本造船会社の強みである設計分野を強化することで競争力を高めようと方向性を定めました。

日本の造船会社による設計の自動化は経営成功事例として紹介されるなど、初期には大きな成果を上げます。
設計で成果を得た日本はさらなる強化を目指し、新たな設計手法を導入します。
それが「生産設計」です。


生産設計の導入と組織構造の変化

船の設計は基本設計・詳細設計、そして生産設計に分かれます。
基本・詳細設計は設計チームが行い、それを現場に渡して現場の人材が船を作るという流れですが、
日本はここに生産設計という概念を追加しました。

生産設計とは、溶接技術さえあれば熟練した現場人材でなくても図面を見て船を作れるように細かく設計する方式です。

生産設計が定着することにより、素人でも船を作れるためベテラン現場職人の需要がなくなりました。
生産設計方式で、現場職人の力は弱まり、本社の設計チームの力が強くなります。

それに伴い日本の造船会社は日本の名門大学出身者に高給を支払って設計者を採用するようになりました。
問題は、造船所の多くが地方にあるということです。


コミュニケーションの断絶

日本の造船会社は、地方に住みたくない名門大学出身の新入社員を引きつけるため、本社の設計チームは東京勤務としました。
設計は東京、建造は地方という構造になり、現場と設計チームのコミュニケーションが断絶してしまいました。

生産設計の方式により、現場は人件費の安い初心者中心で回される一方、東京の設計チームは名門大学出身者中心で肥大化し、人件費が非常に高くなります。


オイルショックと日本造船業の転機・設計組織の縮小

1973年と1978年に第1次・第2次オイルショックが発生しました。
原油価格の急騰で世界経済が停滞し、海運物流量と一般商船の受注が大幅に減少します。

このような状況の中、韓国の造船会社が低価格受注でシェアを拡大し、日本の商船受注は半減します。

当時、韓国に比べて日本の賃金が高いことが日本造船業の競争力低下の原因とされていました。
低賃金を武器とする韓国造船会社に対抗するため、人件費などコスト抑制が重要課題とされる中、日本は現場の人件費は下げられないため、設計チームのコスト削減を目指すようになります。

設計組織が肥大化した日本造船会社は「標準化」を導入します。

標準化とは、船を一隻ずつ個別設計するのではなく、自動車のように標準モデルを定め、一部オプションのみを追加設計する方式です。

標準化の定着により、現場職人に続き本社設計チームも優秀な人材を採用する必要がなくなりました。
当然造船業界を目指す学生も少なくなり、現在造船学科はほとんど消滅した状況です。

 


標準化の限界と新たな商船需要への対応力低下

造船業は長年の経験を持つ熟練現場人材が重要な産業です。
日本では経験豊富な現場人材が標準化と生産設計の影響で消滅し、残り少ないベテラン職人も徐々に引退の時期を迎えています。

そんな中、1990年代後半から、商船の種類が多様化し、超大型船舶へと大型化し始め、船主の要求もより厳しくなっていきます。
標準化により設計部門を縮小していた日本は、多様な商船需要に適切に対応できませんでした。


設計力低下が生んだ三菱重工の苦境

日本の造船業のトップであった三菱重工は、2011年に世界最大のクルーズ運航会社カーニバル・コーポレーションから12万5千トン級の超大型クルーズ船2隻を受注しました。

しかし、設計力が弱体化していた三菱重工は設計段階からつまずきます。

客室設計の時点で船主の要求を満たせず、2013年に完了予定だった設計が2年遅れ、2015年にようやく完了します。


資材供給インフラも問題でした。
日本はクルーズ産業の基盤施設が不足しており、資材の多くをイタリアなど欧州から輸入せざるを得ませんでした。
クルーズ船は一般商船よりも要求がはるかに厳しく、レストランに使うタイル一枚も欧州から職人を呼び寄せ、船主が指定した輸入品を使う必要がありました。

さらに現場の力量不足により即時対応できず、これらの問題がすべてコストとして加算されます。

結果として三菱重工は、受注したクルーズ船2隻のうち1隻目だけで2011年641億円、2014年659億円、2015年530億円の赤字を出しました。
ようやく1隻目のクルーズ船建造を終えて試運転中、騒音の指摘を受け、納期が再度遅延し、508億円の納期遅延特別損失が加算されました。
三菱重工は1隻500億円で受注したクルーズ船を建造するのに3,000億円を要し、2,500億円の赤字を被りました。


2隻目は1隻目での経験により試行錯誤が減ったものの、それでも1,000億円の追加損失が発生しました。

つまり、1,000億円で受注した2隻のクルーズ船に4,500億円の建造費がかかったのです。

それ以来三菱重工はクルーズ船事業から撤退し、ドックも売却するなど、商船建造から撤退するようになります。


商船建造の終焉と高付加価値分野への転換

2024年に11万トン級タンカー6隻を受注した住友重機械も、2025年以降は新規の商船受注を行わないと発表しました。
住友重機械は一般商船から事実上撤退し、洋上風力などの新規事業に集中する方針です。

世界の造船市場で60%のシェアを占めていた日本は、現在ではそのシェアが4%程度にまで下落しました。

 


クレーン分野での追い風

商船建造から撤退したというだけで、日本の造船業そのものが悪いというわけではありません。
三井E&Sは最近、造船所の運営を停止しましたが、商船建造ではなく、大型船舶に使用される低速エンジンや港湾クレーンに競争力を持ち、収益を上げています。

三井E&Sのクレーン

特に、三井E&Sの港湾クレーン事業はアメリカでの成長が期待されています。
アメリカは、自国の港に設置された中国製クレーンが承認されていない情報を中国に送信するスパイ行為をしていると疑っています。


中国政府および中国のクレーン製造会社ZPMCは、中国製クレーンにリモート操作およびセンサーが搭載されているものの、それはスパイ行為を目的としたものではないと主張していますが、アメリカはこれを認めていません。

中国政府が自国製の港湾クレーンに搭載されたソフトウェアを通じて、アメリカの一般貨物移動はもちろん、軍事物資までも追跡・監視・統制可能であるとし、国家安全保障上の脅威と判断しています。

アメリカは今後5年間で2,000億ドルを投資し、アメリカ港湾に設置された中国製クレーンを全面的に交換することを決定しました。
アメリカ港湾に設置されたクレーンの80%が中国製なので、この分野で強みを持つ三井E&Sにとって好機となっています。


現在も商船建造を行う日本企業はわずか

既存の日本造船会社が業種転換や特殊船に移行したことで、日本で商船を本格的に建造しているのは今治造船(世界7位)とJMU(ジャパンマリンユナイテッド)くらいです。
JMUはベトナムの造船所を活用して人件費を40%削減することを期待していますが、それも簡単ではありません。

ベトナムの低人件費を活用しても、周辺のサプライチェーンが機能しなければコスト削減は困難だからです。

日本の現場職の人材問題も解決されていません。

日本の造船会社の現場職の人件費は韓国と比べて30%以上高く、若年層の流入が少なく高齢化が深刻です。
現場人材の40%以上が50代以上であり、その50代以上の中の40%が2025年と2026年に定年に達します。

1970年代には16万人もいた日本の造船業人材は、現在では4万人台まで減少した状況です。


日本は高付加価値領域に集中

まとめると、日本の造船会社は軍艦、環境対応船、クレーン、船舶エンジンなどの高付加価値分野へシフトしています。
一般商船分野に再びリソースを投じて韓国と競争することはなさそうです。

日本では造船業に関連する人材問題が深刻であり、外国人労働者の採用にも消極的なため、生産能力の拡大も難しい状況にあります。