先日、アメリカと中国の間で貿易交渉が行われましたが、中国による希土類の輸出規制は依然として続いています。
では、なぜ中国は希土類を交渉のカードとして温存し続けているのでしょうか?
その理由について解説します。
その理由について解説します。
(いつも通り長くなりますので、結論だけ知りたい方は最後のほうをご覧ください。)
希土類(レアアース)とは?
希土類とは、地中に存在するものの非常に産出量の少ない17種類の元素のことです。
主に軽希土類(Light Rare Earth Elements)と重希土類(Heavy Rare Earth Elements)に分類されます。
軽希土類は世界各地に広く分布しており、埋蔵量が豊富で採掘の難易度も高くないため、供給は比較的安定しています。
一方で、原子番号65番のテルビウム(Tb)から71番のルテチウム(Lu)までの重希土類、特に66番のジスプロシウム(Dy)は非常に重要な元素です。
希土類は少量でも製品の性能を飛躍的に向上させる添加剤として使われます。
料理に少し入れるだけで味が引き立つ「味の素」のように、希土類は私たちが使う製品をより小さく、より速く、より強力にしてくれるものです。
中でも最も多く使われているのがネオジムです。
ネオジム磁石の誕生
1983年、日本の佐川眞人博士がネオジム・鉄・ホウ素(Nd-Fe-B)の永久磁石を開発しました。
ネオジム2に鉄12、ホウ素1を混ぜて磁石を作ると、最強の磁力を持つ永久磁石になることが分かったのです。
これはそれまで主流だったフェライト磁石と比べて10倍以上強力な磁石です。
ネオジムを使うことで磁石を小型化しつつ、最強の磁力を永続的に発揮できるため、先端モーターや兵器などのハイテク分野に不可欠な素材となっています。
ネオジム磁石は日本で開発されましたが、アメリカのGM(ゼネラル・モーターズ)と日本の住友金属がほぼ同時期に実用化に成功しました。
それぞれ異なる製造法により特許を取得し、両社はクロスライセンス契約を結んで技術を共有しました。
各社の特許技術の概要は以下のように整理できます。
・GMの方式:自由な形状・サイズに対応可能で、高性能・多用途
・住友金属の方式:安価かつ量産向き
中国による技術奪取
GMは1986年にマグネクエンチ(Magnequench)という子会社を設立し、ネオジム磁石の事業を開始しました。
その最大の顧客は米国防総省で、マグネクエンチが製造する磁石の85%が軍に納品されていました。
ところが1995年、このマグネクエンチはセクスタントグループ(Sextant Group)に売却されます。
セクスタントグループの実質的な所有者は中国の国有企業であり、その背後には中国科学院が控えていました。
つまり、中国政府主導でネオジム磁石の製造技術と特許を獲得したということです。
マグネクエンチを買収した後、中国に米国工場と同じ生産ラインを設置し、2000年には設備を部品単位で解体して中国へ移送します。
2003年には米国工場を閉鎖し、従業員を解雇した上で中国国内での生産を開始しました。
アメリカは希土類の重要性を認識するのが遅れ、中国にマグネクエンチを安易に手放してしまいました。
2008年12月時点でも、米国防総省は「希土類は国家安全保障に直結する重要物質ではない」と発表していました。
当時のアメリカは「中国から安く買えばいい」としか考えていませんでした。
当時、中国は希土類の埋蔵量は豊富にあったものの、特許や技術を持っていませんでした。しかし、マグネクエンチを買収することで、それらを手に入れたのです。
2010年にはネオジム磁石の世界生産の75%を占める一大供給国となります。
鄧小平は「中東に石油あり、中国にレアアースあり」と述べ、希土類資源の確保と鉱脈の本格開発を推進しました。
このとき、マグネクエンチ買収を指揮したのは、なんと鄧小平の次女でした。
父が資源を確保し、娘が製錬技術と特許を手に入れたのです。
トランプ政権初期の2017年、戦略的に必要な「クリティカルミネラル」が何かを特定し、調査報告せよという大統領令が出されました。
調査の結果、アメリカにとって最も重要なのは希土類であり、その供給網が中国に依存しすぎていることが明らかになりました。
以後、米国防総省が主導で、国家安全保障の観点から希土類への対策が進められます。
政権がバイデンに変わっても、バッテリー・半導体・医薬品・希少鉱物という4つの重点分野の中に希土類が含まれ、対策が継続されます。
特に問題となったのがF-35ステルス戦闘機でした。
1機あたり417kgものネオジム磁石が必要とされるのです。
2022年9月、バイデン政権はF-35に中国産ネオジム磁石が使われている問題を指摘し、生産を一時停止させます。
しかし、アメリカにはこれを代替できる手段がなく、検討の末、中国産を使用したまま生産を再開せざるを得ませんでした。
ところで、ネオジム磁石にも弱点があります。
それは、温度が一定以上になると磁力が失われるという点です。
一般的に100度を超えると性能が大きく低下します。
ここで登場するのが、重希土類であるジスプロシウム(Dy)です。
ネオジム磁石にジスプロシウムを1%加えるごとに、耐熱温度が15度程度上昇します。
高性能モーターは高速回転により容易に100度を超えるため、ジスプロシウムを加えなければ磁力を維持できません。
発電機や電気自動車モーター、F-35のような先端兵器にはジスプロシウムが欠かせないのです。
このように、希土類、特にネオジムやジスプロシウムは、先端産業や国防の鍵を握る重要資源であり、中国とアメリカが戦略的に争奪する理由がよく分かります。
希土類確保の問題
一方で、ディスプロシウムを確保するには、2つの大きな問題があります。
1つ目の問題は、採掘できる地域が限られていることです。
ディスプロシウムは、商業的に埋蔵されている地域が世界的に見てもごく限られており、現在実際に採掘が行われているのは中国とミャンマーのみです。
ミャンマーで採掘されたディスプロシウムは中国に運ばれ、中国が生産するディスプロシウムの65%以上を占めています。
中国がミャンマーでディスプロシウムが採れる地域の反政府武装勢力を支援し、分離独立を望んでいるのは、こうした事情が背景にあります。
世界全体で見ると、中国とミャンマー以外でディスプロシウムが埋蔵されている場所はロシアのシベリア地域とグリーンランド程度しか確認されていません。
しかし、ロシアは他の天然資源が豊富なため、希土類の開発には積極的ではありません。
資源が豊富なオーストラリアやアメリカですら、ディスプロシウムが商業的に埋蔵されている場所はまだ発見されていないほど希少な資源です。
トランプがグリーンランドに関心を示したのは、北極海の覇権に加えて、ディスプロシウムの確保も理由の一つです。
グリーンランドには、世界の重希土類の44%が埋蔵されている世界最大規模の重希土類鉱山(クヴァネフィエルド鉱山とタンブリーズ鉱山)があります。
グリーンランド南部にあるクヴァネフィエルド鉱山(Kvanefjeld Mine)には、軽希土類と重希土類に加え、ウランや亜鉛などが11億トン以上埋蔵されている世界最大級の鉱山です。
タンブリーズ鉱山(Tanbreez Mine)は埋蔵量が4.4億トンとクヴァネフィエルドより少ないものの、重希土類であるディスプロシウムやテルビウムの含有量が高いことで知られています。
クヴァネフィエルド鉱山は、オーストラリアの企業「グリーンランド・ミネラルズ」が中心となって開発を進めていました。
この企業はオーストラリアの会社ですが、最大株主が中国資本であるため、実質的には中国系企業と見なされています。
グリーンランドの総選挙で与党が勝利していたら、この鉱山は中国主導で開発が進められ、重希土類市場における中国の占有率がさらに高まる状況でした。
しかし幸いなことに、野党が選挙に勝利したことで、クヴァネフィエルド鉱山の開発は保留となりました。
重希土類が集中的に埋蔵されているタンブリーズ鉱山は、アメリカの鉱物開発企業「クリティカル・メタルズ(CRML)」が買収しました。
現在、この鉱山では年間約1,000トンのディスプロシウムが生産されていますが、埋蔵量は760万トンにのぼるとされており、アメリカ企業が非常に重要な資源を確保したことになります。
タンブリーズ鉱山はすでに採掘許可が下りているため、近いうちにディスプロシウムの本格的な生産が可能になると見込まれています。
しかし、たとえ重希土類の採掘に成功したとしても、さらに大きな問題が残されています。
しかし、たとえ重希土類の採掘に成功したとしても、さらに大きな問題が残されています。
希土類確保の2つ目の問題は、環境汚染です。
ディスプロシウムの採掘過程では深刻な環境汚染が発生し、さらに精錬過程でも追加的な環境負荷が大きくなります。
ディスプロシウムの採掘方法は以下の通りです。
まず、ディスプロシウムを含む土地に深さ約3メートルの穴を掘り、その中に「硫酸アンモニウム」という酸性の溶液を流し込みます。
この地域の土壌は、崩れやすい砂や粘土で構成されているため、酸性液が染み込むと、土が溶けて粘着性のある茶色い泥状になります。
この泥を作業員たちが袋に詰め、専用のパイプラインを通じて処理施設に運びます。
そこでは、大きな池のような沈殿槽に集められ、泥の中からディスプロシウムが分離されます。
しかし、この泥の中に含まれているディスプロシウムはごくわずかで、全体のわずか0.2%しかありません。
残りの99.8%は廃棄物となり、多くは近くの丘の下や小川などに不法投棄されます。
その中には、塩酸や硫酸といった強い酸性物質が含まれており、小川を通じて流れ出したり、地下水に染み込んで井戸水や農地を汚染します。
その結果、果樹が実をつけなくなり、住民たちは皮膚炎や呼吸器疾患、骨粗しょう症、さらには癌などの深刻な健康被害に苦しむことになります。
さらに深刻なのは、ディスプロシウム1トンを精製する際に、約7万5,000リットルの酸性廃水、1トンの放射性廃棄物、そして硫酸とフッ化水素酸が混ざった有毒ガスが1,200万リットル近く排出されるという点です。
グリーンランドは広大な国土にわずか5万人しか住んでいないため、環境汚染による住民への影響は少ないとされています。
しかし、いくら住民への影響は少ないといってもそれを許可するかどうかは別の問題です。
仮にアメリカがグリーンランドの希土類を確保できたとしても、環境汚染や労働者の安全性といった問題から、生産は簡単ではありません。
このような状況を踏まえると、トランプがウクライナを狙う背景も見えてきます。
トランプはウクライナに対して、戦争支援の見返りとして、ウクライナにある希土類の半分を提供するよう要求しました。
国の希土類埋蔵量の半分を引き渡せというトランプの要求は、常識を超えた過大な要求でしたが、ウクライナはアメリカからの安全保障を得るために鉱物協定に署名しました。
しかし、現在のところウクライナでは、商業的に採掘可能なディスプロシウムなどの重希土類は発見されていません。
ウクライナの希土類は、全世界的に埋蔵量が多く埋蔵地域も広く分布している軽希土類が中心です。
アメリカがウクライナに求めているのは、希土類そのものというよりも、それを加工できる土地である可能性が高いです。
ウクライナには、ほとんど人が住んでいない有名な廃墟地域が存在します。
原発事故により広大な地域が放置されている「チェルノブイリ」周辺を精錬場所として活用できれば、アメリカはグリーンランドで重希土類を採掘し、ウクライナで精錬するという体制を整えることができ、中国に依存せずに重希土類を確保することが可能になります。
まとめ
中国の希土類輸出禁止を正確に分析するには、ディスプロシウムに注目する必要があります。
軽希土類は世界各地に広く分布しており、希土類戦争において主要な要因ではありません。
一方、重希土類であるディスプロシウムは、埋蔵地が非常に限られ、精錬時の環境汚染が深刻なため、中国の独占的な資源となっています。
グリーンランドの鉱山でディスプロシウムを確保し、ウクライナで精錬する方法は、アメリカがレアアース戦争を勝ち抜くための有力な戦略と考えられます。